「誰かのために」

皆さん、お疲れ様です。

 

最近は疲れたな〜と感じる日が多くなってきたんですけど、これは夏のせいですかね?それとも仕事に慣れ始めてきて緊張が抜けてきた反動の疲れなのでしょうか?笑

 

ともかく、6月から始めたこのブログ活動もなんとか継続して取り組むことができているのでひとまず安心しています。

これからもご愛読よろしくお願い致します🙇‍♂️

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では、本題に入りますね😊

 

「誰かのために」動く

「誰かのために」寄り添う

「誰かのために」発言する

「誰かのために」……

 

「誰かのために」行動することは素晴らしいことだと思います。どことなく響きもいいですよね。

私も昨年まで大学のマネージャーをしていたこともあり、誰かのために自分自身の時間を削って生活することを厭わなかったです。

実際に、今も縁の下の力持ちとなる存在はどんな場面であっても必要不可欠であると思いますし、そういう人たちを心の底から尊敬しています。

 

去年、大学卒業する直前にあるアナウンサーの方からこんな言葉をいただきました。

「誰かのために動くことができる人がいるチームは能力値以上の強さがある。君の誰かのために行動する姿は今年の強さに直結していた」

この言葉が僕にとって大学4年間の評価そのものであったように感じています。

素直にすごく嬉しかったです。

 

でも、私は別に評価して欲しかったから自己犠牲の精神で行動していたわけではないです。

陸上競技は本来「楽しい競技」であることを知っていたからこそ、辛い思いを他の選手には味わってほしくなかったという願いが強かったんです。ただ、その一つの願いのために動いた結果が「誰かのために」という姿に写っていたのかもしれません。

 

何が言いたいかというと……

最初から誰かからの評価が欲しくて行動するんじゃないんですよ😎

1日1日を楽しくそして力強く歩んでいった結果が評価へと変わっていくのです。

だからこそ、今ある時間を大切に過ごしてほしい!

そして、何年後かに後ろを振り返って自分が歩んできた足跡を見ながら「こんなこともあったな」と笑いながら誰かとお酒でも飲みながら語ることができたなら最高ですね!

 

一見響きの良い言葉でも見方を変えれば意味合いも全く違ったものになります。

これから社会人として言葉の本質を見極めていきたいものです。

 

 

 

皆さんの毎日が彩りある日々でありますように🫡

 

 

 

※ひょっとしたら途中で言いたいことが行ったり来たりすることがあるかもしれませんが、これを見ていただいているということは、温かい目で最後まで読んでいただいたんですね😅

ありがとうございました🙇‍♂️